「秘められた思い」
3月21日 横浜FC 1-0 モンテディオ山形
 前半35分の事だ。横浜FCが左サイドPAのやや外でもらったFKをカズが蹴る。

ボールは曲がる事もなく、遥か遠くへ消えていく。誰もがあのボールを内田に蹴らせておいたら、チャンスはあったのではないかと思った瞬間、この日主審を務めていた松尾一氏は慌ててPA内に走りこみ、山形・内山にこの日2枚目のイエローカードを提示し、退場を宣告する。

そのPKをセットするのはカズ。この試合彼にはここしか見せ場がなかったのだが、それをしっかり決め1-0と横浜がリードしたところからゲームは動き出す。

この日前述の松尾主審は不安定そのものだった。ホームの横浜寄りと言えばPKを取った事でそうだったが、最初は山形寄りと言われてもおかしくないジャッジばかりだった。

山口・城らが抗議に行くシーンが繰り返される。そのプレッシャーに負けたのか、まるで帳尻を合わせるかの様な前半での退場劇。

この時の松尾主審の心境とはどうだったのか。少なくとも私にも帳尻合わせにしか映らなかった。審判をしていると感情的にそういった時はあると思っている。

ただ、それをあからさまに前に出すと試合はこじれる。たまたま昨日JFAよりテクニカルニュースが届き、その中にあった言葉「審判として心がけているもの、それはプレイヤーズファースト」を彼は体現できていないのではないかと感じる。

あの2枚目のイエローは純粋にファウルだったのか? カードの匙加減は自分の良心に従ったのだろうか? 山形にとってこれが不運だったのは、城のタックルで永井が負傷し、交代で本橋が入ったのだが、この後での退場劇。左SBがいなくなってしまった事でどういった形にするか監督の考え方が問われる所なのだが、結果論としてボランチの本橋を左SBに入れた事で中盤の枚数を欠き攻め手を失ってしまった。

その人数が少ないにも関わらず、追加点が取れない横浜の攻撃の問題点は、「いる所にしか出せないパス」だ。数的有利なのに、その優位性つまり、フリーのスペースを使うという発想に欠けている。

智吉の判断の遅さが指摘されているが、それは彼の問題ではない。彼が空いたスペースに走りこんでボールをもらっても、前線の選手は足元にボールを欲しがる。しかし、後ろの選手はそれをケアしているDFがいるのは見えている。結果としてサイドは下げるか、はたくしか選択肢が今の横浜にない。

サイドを生かすも殺すも中盤次第なのだが、ボールを捌く事に定評のある選手を同時に起用しているのでは中盤からの崩しは期待できないだろう。ただ、吉野がアンカーに入って、山口を多少前に置くと言う形を試している様だ。この結果は直ぐに出るものではないと思うが、高木監督の意図を知りたいところだ。

後半になって、山形の逆襲を食らう。逆襲というより、自滅に近い。足元でボールを捌くのは疲れる。人間が一番疲れないのは"走っている"まさにその瞬間だ。スペースを使えない横浜とスペースを意識する山形。

山形は一人少なくなった事でスペースを利用し始めた。もちろん、個人個人の運動量とそれを維持させるだけの気持ちが合った事は言うまでもない。それに、前半を1-0で終えて10人に対して修正を掛けられた事もあっただろう。

右サイドの佐々木は相変わらず速く深いターンでえぐりチャンスを作り、財前もあれ程動く印象でなかったのだが、見違えた。そこまで彼らに運動量をもたらせたものは何か?主審への怒りと、10人でもやっていけるという希望と自信だろうか。その希望の芽を摘めなかった横浜に原因はあるのだが。

後半山形の攻撃を菅野"様"の力も借りて、凌ぎきり高木監督初勝利。高木監督は力強い言葉をさらっと言う人だ。それと同じで、この試合も左膝の怪我によるテーピングをソックスを高く上げて隠してプレーしていたたヨンデを後半最後に「さらっ」と代えた。カード対策というより怪我の影響だろう。 高木監督は徳島戦の前、僕にこう話した。

「修正点はどこというより気持ちの問題です。」と。

怪我をしても気持ちが強い選手を使う監督。選手を信じているという監督。

ヨンデのソックスの下に見えた、ガチガチに固められたテーピングはまるで、縁の下の力持ちである監督と選手の絆の強さを見る様だった。