「ポセイドン・アドベンチャー」
3月11日 横浜FC 0-0 サガン鳥栖
 後半、吉野がヘディングしたボールは、クロスバーに弾かれそのボールに詰めていたヨンデもヘディングを外し、地面を叩いて悔しがる。

1972年に公開され、パニック映画の原点とも言われる作品「ポセイドン・アドベンチャー」を思い出す。

監督の交代で転覆する横浜FCと地面を叩いて悔しがるヨンデと、神の残虐性と人間の無力さを呪う主人公・スコット牧師の姿がダブって見えた。

高木新監督の処女航海はこの日の空の様な順風満帆とは行かなかった。転覆した船を立て直すのは簡単にはいかないのだ。

試合も横浜はサイドで手詰まりになってしまい、それ以上進む事ができない。鳥栖は34番山城が右サイドを縦横無尽に走りチャンスメイクをする。鳥栖の技術的なミスによって助けられたのだが、横浜はサイドを押し込んだがカットされ、そこからの攻守の切り替えがまったくできず、中島は孤立し、山口がつり出された中盤のスペースを使われた。

前線では城が惜しい形を作りながらも決めきれず。カズは足元にボールを欲しがり、ボールが出ても効果的なチャンスは作れず。スペースを使う現代のサッカーから一人取り残されている感じだ。スピードがないだけでなく、キープもできない。惜しいシュートが決まっていればというのは、鳥栖の方がいいたい事だろう。菅野の好セーブがなければ、鳥栖は勝っていたのだから。

ディフェンスラインは安定していた。鳥栖・山城に蹂躙されたサイドはスピードに不安な部分も残したが、センターは安定していた。特に高さとフィジカルな部分は問題がなかった。ヨンデをもう少し前で見たいという声もあるが、それもわからなくはない。秋葉は練習を見ている限りではもう少し先かなと思う。

足達前監督は吉野と内田というセンスのある両選手の共存を目指した。それに外人2人とカズ城、山口をどう組み込むかで悩んでいたのだが、高木監督はどうするだろうか。

この試合の場合、アウグストと内田が交代した後に、サイドにボールが散る様になった。それは単にアウグストがボールを持って中に絞る傾向があったというだけではなく、ずっとやっている選手同士の連携がそこにあるからだろう。アウグストはボールを持ちすぎているのだが、ここを改善できるならあの技術は面白いと思う。

鳥栖のミスにも助けられ、戦術や連携の面は勝負にならなかった横浜は何とか引き分けに持ち込んだホーム開幕戦。選手達の自分たちしかいないという状況は、逆に彼らを奮い立たせた。

冒頭のポセイドン・アドベンチャーでは、主人公のスコット牧師はこう言う。「天に祈るのではない。内なる神つまり自分を信じる」のだと。

 "Get down on your knees and pray to God for help? And maybe everything'll work out fine? Garbage!"  (跪いて神に助けを祈る? そうすれば何でもうまくいく? そんなのは迷信だ!)

確かに試合の結果は映画と同様、傷つき船尾から顔を出せたに過ぎない。しかし、大切なのは彼らが衝撃の監督交代となった後に、何ができるかだ。この試合無力ながらも必死に戦ったから、船尾から抜け出せた。三ツ沢に差し込む光も、あのバーナーと同様、神の光だ。

結果も大切だが高木監督が試合後、強気に「勝てた試合」と言った事には意味がある。そう、彼には自信があるのだ。自分を信じる事。選手自身にそれがあるか。運命に身を任すのであれば、勝者にはなれない。多数の意見が勝者とは限らない。自分の道は自分で切り拓くのだから。

まだ高木船長の航海は始まったばかりだ。