「足達:都並=50:50=36:50」
10月22日 横浜FC 1-2 ベガルタ仙台
試合前の紹介でブーイングと失笑を買う足達監督と、無視される都並監督。同じ読売出身でこの待遇になってしまうとは。試合前が実は最高に面白かった。

 彼は試合後逆転された2失点目の原因をボールの失い方と解釈した。選手が消耗しているからだと。個人的に思うのは、「消耗している」と認識しているならば、なぜそこに補強をしなかったのか。後半になって両サイドが横に動く時間が増えた。サイドの選手が山口が下がったてできたボランチと城の下がったスペースを埋めるべく走り回っていたからだ。これで強烈に消耗していたのは、北村のアゴの高さを見ていればわかること。選手は良く戦ったのはわかった。でも、負けてしまっては意味がない。選手を信頼したと言えば聞こえはいいのだが、一つ間違うとそれは放任あるいは突き放しと思われてもおかしくないし、この日の選手交代はその意味で受け取るには十分すぎた。

 確かに仙台・村上の信じられない位スーパーなシュートは予測できない。あれを予測して選手交代というのは無理がある。しかし、結果は結果。同点にされて流れが仙台に傾いたという事実は翻せない。追いついた方に勢いがあるのは、この競技特有の心理状態ではない。傾いた流れを如何に食い止め、立て直すのかこの段階で手を打たなければならなかった。

 野球では同点でもあるいは負けていても自軍のストッパーや勝っている時に投げる投手をつぎ込む時がある。いわゆる総力戦。絶対に負けられない試合、戦い。抑えてくれる、流れを取り返す、そして自軍が投手が粘っている間に逆転させる。そういう起用は誰しもが見たことがあるだろう。

 「強気の起用」「攻撃は最大の防御」これらの言葉は、そうした起用の時に使われる。しかし、足達監督はそういう起用をしなかった。彼としては、あのままで引っ張るだけ引っ張って、残り10分程度でメンバーを代えて逃げ切る方法だったのだろう。ところが、後半開始8分で同点にされるという誤算が生まれ、投入の時期を見定めている間に逆転されて、仕方なく投入したと映る。

 数的不利であったが負けていないのだから、仙台を精神的に突き放す起用が必要だった。ハーフタイムで数的有利になり精神的余裕のある仙台を愕然とさせる、あるいは面倒だなと思わせる起用。3バックにして巧者・山口をボランチに戻して、元気なシルビオを後半頭から投入して前線でかき回させて消耗戦を狙うとか。確かに観戦した後の後出しジャンケンかもしれないが、勝利に対してあがく、最低限引き分けにするという意識が見えない監督に対して批判的になるのは当然の事。もちろん勝負の世界だから敗戦の責任は監督にあるが、最初の言葉は「富永の退場が〜」となっている事だろう。

 足達監督が近頃勝っても負けても口にする「選手はよく戦いました」という言葉は、「監督は戦ってません」の裏返しに聞こえるのは私だけだろうか。